カンボジアの生徒たちの未来に貢献したい。

Project Story 03
~日本語・日本文化教育インターンプロジェクト~

Project Member 近藤翔真

与えられた試練。一か月で最大限のパフォーマンスを発揮しろ。

 2016年夏、近藤翔真のインターンはカンボジアの首都プノンペンから始まった。インターン先に決まったのは、カンボジアインプレスという企業だった。カンボジアインプレスは日本企業のカンボジア進出をサポートする会社。業務は非常に専門的で、日本からやってきた自分たちのような大学生には手に余るものに思えた。「本当に優秀な人たちがやる仕事。そんな人たちでもやるのが難しいことをするんで、ほんと一か月のインターンでできることって、限りなく無に等しいんです。」

慣れない環境に、見たことのない人たち、歩いたことのない道。途方に暮れている翔真に、インターンを受け入れてくださったカンボジアインプレスの創始者、安藤氏と橋本氏が言った。「インプレスの環境は全部使っていい。オフィスも人脈もとにかく全部。大事なのは、その環境で何を成すか。見ず知らずのカンボジアという場所で、一か月という限られた期間に、自分の最大限のパフォーマンスを発揮するにはどうすればいいか考えなさい」。

何ができるかはわからないけれど、動かなければ始まらない。手探りの挑戦が始まった。


夏休みなのに学生だらけのプノンペン大学へ。

 まず翔真が取り組んだのは、カンボジアに来る前に自分でやろうと決めてきたプロジェクト―カンボジアでの“日本”についての教育事情(特に日本語)を調査するというものだった。大学で日本の教員養成の授業を受けている翔真は、自分の足でプノンペン大学の日本語学科に一週間通い、日本の大学との違いに驚くことになる。「僕が行った頃は授業自体は休みだったんですよ。日本でいう夏休みみたいな時期。でも、日本の大学と一番違ったのが、夏休みでも、とにかく大学に来て勉強してるんですよ。本当に、毎日普通に、大学に来て勉強したりして。夏休みにもかかわらず、大学のどこに行っても学生がいることにまず驚きました。」

そんな学生たちに興味を持って、翔真は一人一人と向き合ってインタビューを行った。総勢64人。誰もが日本が好きでこの学科に入っていた。お坊さんの学生もいた。勉強を始めたばかりの新入生たちもいた。日本語が通じないなら英語を使って、それでもだめなら仲良くなった学生に通訳を頼んだ。本当にいろいろな人にお世話になりながらのインタビューだったが、毎日が驚きと発見の連続だった。そんななかで出会った、ある学生の話が翔真の心に残った。

「カンボジアの田舎に住んでいた学生なんですけど、子供の頃に日本人と出会って、ちょっとした日本語を教わったらしいんです。たぶん、青年協力隊とか、そういう人だと思います。その人に出会って日本に魅力を感じたから、僕はこの日本語学科に入ったんだって。その話を聞いて思ったんです。カンボジアに来た日本人がいいものを残してくれたから、こうやって今、日本に興味を持ってくれている学生がいる。物事は繋がっているんだなって思いましたね。」

ふと訪れたチャンス。翔真、教壇へ。

 プノンペン大学でのインタビューを終えた後、翔真に一つのチャンスが舞い込んだ。カンボジアに一緒に行き、別のインターンをしていた学生の紹介で、プノンペンにある日本語学校の教師をすることになったのだ。学校の名前はJLBS(Japanese Language and Business School of Cambodia)といい、そこには高校生や大学生はもちろん、中には30代や40代の人もいた。その全員に授業をするという貴重な機会をいただいたのだった。

「準備期間は一週間もなかったですね。3日か4日ぐらい。なので、カンボジアで夜な夜なパワーポイントで授業の準備をしました。」

授業期間は5日間だった。やるからには生徒のためになる授業がしたい。日本のリアルな今をちょっとでも知ってもらおう。教科書的を見れば載っているような内容ではなく、生徒の将来に実際に役に立ててもらえるものにしよう。夢中で授業をした。お台場、アルバイト、若者言葉、漢字、地震。様々なテーマで話す翔真の授業は、盛り上がった。『私も温泉に行ってみたい。どこがおすすめですか。』『漢字って凄い。もっと知りたい。』たくさんの生徒が我こそはと質問をしてくる。その反応が嬉しかった。それは翔真が行動しなければ在りえなかった光景で、かけがえのない時間だった。5日間は、あっという間に過ぎた。たった5日間だけど、その期間、翔真は確かに先生だった。

生徒たちの未来に自分は何を残せただろう。

 教育とは、成果がすぐには出るわけではないもの。自分の授業が生徒たちの人生にどんな影響を与えることができたのか。それは、もっと時間が経ってからでなければわからない。しかし、翔真の耳に望外な知らせが入ったのは、インターンも終わりに近づいたころだった。「自分が授業をさせてもらったJLBSは、もともとうちのゼミ生のインターン先ではなかったんですが、ぜひ来年もうちの後輩の学生にやっていただけたらっていうお話をいただいたんです。嬉しかったですね。やってみたらやってみただけ返ってくるんだなって。」

いつの日か、翔真の教えた生徒たちが世界に羽ばたいて、グローバル企業で活躍したり、大学で教鞭をとったり、東京のお台場の交差点で翔真とばったり会ったりする。そんな未来もあるのかもしれない。

(written by 黒澤謙斗)

0コメント

  • 1000 / 1000