教育の力で、カンボジアの学生の可能性を広げる。
Project Story 03
〜日本語・日本文化教育インターンプロジェクト〜
Project Member 近藤翔真
環境に慣れる一週間。
2016年8月、近藤翔真はカンボジアの首都プノンペンにいた。日本企業のカンボジア進出をサポートする「Cambodian Impress Service」という企業を拠点にインターンを行うためだ。CEOの安藤氏と橋本氏は言った。「オフィス、環境、人脈など、使えるものすべてを提供する。カンボジアという環境で、一ヶ月で最大のパフォーマンスができるか、自分自身で考えなさい。」ありがたい状況であると同時に、自分を試される難しい課題だった。プノンペンは大使館やホテル、大学が建つ、想像していたより都会の景色だった。しかし、日本とは比べ物にならない灼熱の気温と、馴染みのない食文化、ペットボトルじゃないと飲むことができない水。一ヶ月間、何をするのか、自分に何ができるのか。近藤は不安とともに、見ず知らずの土地で途方に暮れた。最初の一週間は、とにかく環境に慣れることで精一杯だった。
教育の可能性は無限大。
環境に慣れ始めた近藤は、カンボジアの中でもトップレベルであるプノンペン大学の、日本語学科に向かった。近藤はグローバルコミュニケーション学部の、日本語教員養成課程を履修していたこともあり、カンボジアの日本語教育について興味があり、調査をしようと考えたのだ。一週間、毎日違う学生に話を聞いた。その数総勢64人。日本から持ってきたノートも文字で埋め尽くされた。
調査も終盤のころ、近藤はプノンペン大学日本語学科学部長のロイレスミー氏にお話を聞きたいと考えた。レスミー氏は、プノンペン大学に日本語学科を立ち上げた第一人者で、訪問者が絶えず、忙しい方だった。しかし、近藤は仲良くなったカンボジアの学生の協力を得て、何とかレスミー先生と会談の機会を設けることに成功した。プノンペン大学に通った一週間の、最終日のことだ。「農村の家に生まれた子どもは、一生農村の子ども。私はそういう流れを教育で変えたい。教育の可能性は無限大です。」自分自身がカンボジアの農村の生まれだというレスミー氏は言った。大学進学が当たり前になりつつある日本にいたら気づくことができない、教育の大切さ。カンボジアの学生たちが、自分の将来のために必死に勉強を頑張る姿は、近藤の目に強く焼き付いた。
五日間、うちの学校で授業をしてみないか。
プノンペン大学での調査を終えた近藤に、突然ある出会いが訪れた。カンボジアに一緒に同行し、別のインターンを行っていた宇井野の紹介で、JLBS(Japanese Language Business School of Cambodia)という日本語学校で教員をしている方から「うちの学校で授業をしてみないか」と声をかけられたのである。そのとき近藤は、プノンペン大学で聞いた学生の話を思い出した。「田舎に住んでいる子どもの時に日本人が来てくれて、日本語や、いろいろなことを教えてくれた。それがきっかけで日本語に興味を持ち、勉強してみたいって思った。」自分も授業をすることで、カンボジアの学生の心に何かを残すことができるかもしれない。近藤は、迷うことなく承諾した。授業期間は5日間、30分を3コマ。準備期間は一週間もなかった。近藤は、日本での生活に少しでも役立てるような授業内容にしたいと考えた。毎日徹夜してパワーポイントを作成した。
やってみたら、やってみただけ返ってくる。
JLBSは、高校生や大学生をはじめ、30代、40代の大人など様々な人がいた。近藤は初めての授業に、緊張と不安を抱えながら教壇に立った。日本の最低賃金、最高賃金などのアルバイト事情、若者言葉や、流行っていること、漢字の成り立ち、現在も多発している地震について。近藤の心配をよそに、JLBSの学生たちは、突然現れた日本人大学生を受け入れてくれた。授業を進める中で、飛び出るたくさんの質問や感想。予想を超える大きな反応が嬉しかった。最終日、JLBSの学生たちは近藤に、日本語で「ありがとうございました。」と書かれた色紙をくれた。自分の授業で、カンボジアの学生たちに少しでも影響を与えることが出来たのだろうか。未来の可能性を広げることが出来たのだろうか。まだ、それはわからない。しかし、色紙を見ていると、学生たちと心の交流ができた実感がこみあげてきた。「あのとき、授業をすることを断っていたら何も生まれなかった。やってみたら、やってみただけ返ってくるんだな。」近藤は、JLBSの学生にもらった色紙を、1年が経った今でも大切にしている。
(written by 高橋碧)
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