宮城県 石巻市編

 東京では連日のように猛暑が続いていた2017年の夏、私はゼミ生でただ一人宮城県の石巻市へと足を運びました。東京よりは涼しいとはいっても、服が汗でだんだんと濡れていくのがわかる夏でした。


 石巻市は仙台市についで宮城県で2番目に大きい街であり、東日本大震災で一番死者が出た街でもあります。6年という月日が経ち、町は以前のような活気を取り戻しつつありました。しかし同時に、以前住宅街があった海沿いからは民家は消え雑草が茂り、ここに人が住んでいたとは思えないほど静けさだけが残っていました。



 私は「石巻復興きずな新聞」さんにて、約一か月記者ボランティアとして活動させていただきました。この新聞の元はピースボートボランティアセンターというNPO団体のもと、震災半年後から発行されていた「仮設きずな新聞」です。

仮設きずな新聞の発行が終了したことを受け、編集長だった岩元暁さんが新たに石巻復興きずな新聞を発行しました。一か月おきに石巻復興きずな新聞(以下きずな新聞)ではいくつかのコラムがありました。

まず一つの大きな見出しとして最近石巻市で起きた出来事の記事。(これは明るい内容を選ぶようにしていると伺いました。)

仮設住宅や復興住宅で過ごすにあたり、知っておくと便利な知恵をまとめた記事。

それから震災当時から現在までの回顧記事。月ごとに掲載内容は変わるのですが、6ページに渡り様々なコラムが用意されていて読み応えがあります。


 私はその中で石巻市での出来事の記事を書かせていただきました。

取材に伺ったのは「日和山体操」でした。日和山は海の近くにある高台で、毎朝6時になると近所の人たちが集まり体操をやります。

取材を行うにあたって私自身も毎朝6時に起きて日和山に出向き、皆さんと日和山体操をやりながら交流をさせていただきました。

みなさんとても明るくて50以上年の離れた私にも優しくしてくださりました。

特に78歳になるおばあちゃんは私を孫のようにかわいがってくださいました。

その中でリーダーのような方(あだ名団長さん)に取材をさせていただきました。どうして日和山体操を始めたのか、日和山体操を続けている理由、そして震災当時のこと。長くなるので割愛しますが、(詳しくは石巻復興きずな新聞16号のアーカイブをご覧ください。)震災を石巻で体験していない私の胸を打つものがありました。


 石巻復興きずな新聞の大きなお仕事は新聞を作ることともう一つ、新聞を配ることがあります。仮設きずな新聞時代からの特徴として、石巻復興きずな新聞では仮設住宅や復興住宅に住む方一人一人に手渡しで新聞を渡します。住民さんの困ったことや楽しかったことを伺いお話をします。私もこの仕事に何度か参加させていただきました。一人の方と数時間ほどお話した際には、楽しそうに話してくださったので伺ってよかったと心から思えました。


 私の一か月はこうして過ぎていきました。今振り返ってみると教えられてばかりで、

私が被災地に住む皆さんに出来たことなんてほんの少しもなかったと思います。

けれどこうして私が過ごした一か月を伝えていくこと。

それがほんの少しのお礼になるとしたら、今後もずっと続けていきたいと思います。


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