カンボジアの豊かな生命力を伝えたい。

Project Story 01

~サンボー・プレイ・クック食文化発信プロジェクト~

Project Member 寺松千尋 飯塚修平

二度目のサンボー・プレイ・クックへ。

 2016年夏、大学2年生の寺松千尋はカンボジアの首都プノンペンから少し離れた、サンボー・プレイ・クックにいた。アンコールワットよりも古い遺跡があるが、あまり知られていない小さな村だ。寺松がここに来るのは二度目だった。一年前、短期間のフィールドワークでこの村を訪れたときに感じた、この村の魅力をもう一度確かめたい、そして、できることなら自分が世界に発信し、発展途上で貧しいといったカンボジアへの偏見や誤解を解きたい、豊かさを知ってもらいたい。そんな想いで、今度は3週間のフィールドワークにやってきたのだった。うまく言葉にできないものの、寺松には、水道も電気も通っていない村の人たちの生活が、きらきらと輝く素晴らしい生き方だという実感があった。映像で記録すれば伝えられるかもしれない。そんな構想を持って、サンボー・プレイ・クックを拠点に様々な活動をするナプラワークス社のもとで、同じゼミの飯塚修平との2名でのプロジェクトがスタートした。

“あなたたちに何もできることはない”

 プロジェクト始動にあたって、ナプラワークス社の代表である吉川舞さんと面談をすると、吉川さんが言った。「あなたたちにできることは何もありません。言葉も通じない。しかもたかが三週間。村の人にとっては単なる来客で終わる可能性もある。それをどこまで持っていくかはあなたたち次第です。」長年、この村で遺跡修復や訪問者のガイド、よりよい地域づくりに取り組んできた吉川さんの言葉には重みがあり、気持ちが引き締まった。寺松と飯塚は映像を通じて、この村の食文化の発信を行おうと考えていた。当初のコンセプトは、村の料理名人のお母さんの家に伺い、食レポをするというもの。しかし、到着してみると、村の行事が重なっており、お母さんたちはとても忙しく、まったく現実味がないことが判明。寺松と飯塚は一から考え直すことにし、話し合いを重ねた。映像の構成を考えては絵コンテを作り、セリフを考え、どういう流れで撮影を進めるか、すべて考え直した。そしてできた新企画は、「千尋ちゃんの村飯(むらめし)修行」。寺松自身が主人公となって、体験的に村の料理を学んでいくというコンセプトで映像をまとめることにした。

言葉が通じないなかでの撮影スタート。

 映像は月曜日から日曜日までの7話分を企画した。薪で火を焚いて、七輪を使ってご飯を炊くところから始まり、独特の包丁の使い方や、庭で飼う鶏の調理の仕方を教わったり。鶏の羽をむしるところからの作業は、寺松も初めての経験となった。修行を重ねた「千尋ちゃん」が最終話では一人で食事を用意するというストーリーだ。1話あたり二分程度なのだが、撮影は3時間を軽く超える長丁場。村の人たちにも撮影に協力してもらい、全てiphoneを使って飯塚が撮影を担当した。言葉も通じないため、どんなポーズで何を言って欲しいかを伝えるのにも一苦労。休息の時間は一時もなかった。膨大な撮影データから、使用する映像を選び、宿舎に戻ってMacで編集作業。さらにナレーションやテロップを後から入れたりと、短編の映像とはいえ、完成までには多くの時間を費やした。ようやく映像が完成したのは、3週間のプロジェクトが終わろうとする前日だった。

「カンボジアの村の暮らしをして、自分が今何を考えているのかとか、日本人はなんでこう思うのかとか、そういうことを見つめ直す機会が多くて。価値観というか、なんでなんでって本当に考え続けた一か月でした。」

村の生活が教えてくれた普遍的なこと。

 編集した映像は、フィールドワークの最後に、テーブルの真ん中にパソコンを置いて、みんなで囲んで上映会を開いた。「あなた映っているわよ」。「あ、わたしだ」。みんな笑っていた。撮影の時も、村の人たちは、撮影のためのポーズを撮っている人を見ては面白がって、本当に楽しそうに協力してくれた。そういう時間を共有できたことが寺松たちは何より嬉しかった。上手くいかないことばかりだったが、人と人との繋がり、命に感謝すること、時間を消費するのではなく積み重ねるように生きていくこと、大切なことを肌で感じながら、映像で伝えようとした。長いと思っていた3週間のフィールドワークは、あっという間だった。寺松たちが作成した映像は、現在もナプラワークス社のホームページにメイキング映像も含め8話分載っている。再生回数は合計1100程になった。「やっぱり自分たちには、まだ大したことはできなかったのかもしれない」。寺松は言う。しかし、「千尋ちゃん」が体当たりで表現しようとしたカンボジアの豊かな生命力は、8話の映像に確かに刻まれている。この星には、こんなにも多様で豊かな文化が生きていることを、また世界の誰かがきっと受け止めてくれるのではないか。

(Written by 齋藤萌子)


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